2011年11月25日金曜日

食べ物の、もしかしてちょっとここだけのいい話。

 

親子3人で風邪のリレーを行っております。どーもこんにちわゆき坊です。
いやはや、噂には聞いていたのだけども、今年の風邪はしつこい!です。
先週頭から風邪っぴきだった息子も、まだ朝晩ゲヘゲヘ言ってます。
何をするにも体が資本。健康でなくちゃ、心もなんだか浮き沈みが激しくなってしまいがち。。
早くなんとか治さねばという感じでございます。

さて、しばらく書かなかったけど、書き始めた私のブログ。
以前の自分と、311以降の自分の変化を書きましたが、その変化は色々あります。
まずは、今、ここに生きている事への感謝。
これはもぅつべこべ書く必要もなさそうです。
たぶん、あの地震の恐怖とニュースで見たショッキングな映像と現実を知れば、
誰もがそう思った事と思います。
今ここでこうして暮らしていられる事は、当たり前なんかじゃないんだなって、思います。
自分がいくら気をつけていても、あっという間にすべてなくしてしまう事は、あるんだなって
本当の意味でわかった。知ったような気がしています。

その後に起こった原発事故で、価値観や物の見方が変わった自分がいましたが
変わったのはメディアなど、情報との付き合い方みたいなものかもしれません。
その他、日々の食事や環境、地球や子供達の未来については、「変えていかねばな」という気持ちのほうが強いです。
偉そうに書けるハズもなく、日々の暮らしの中にはそうした大切な事を忘れてしまう・・
いえ。感じる事ができずらい世の中の仕組みがある事を知らなければいけないと思ってます。

そうした中でも、自分でも、ずいぶん考えるようになったな。というのが毎日の食事について。
食材について、です。
日々の食卓で食べている物が、「いつ、どこで、誰が、どういう風にして作ったか」という事は、
忘れるどころか考える事すらなくなっているのかもしれません。
もちろん「その後、どんな風に加工されて、どんな風に運ばれてきているか」なども含めて。

私も若かりし頃は、焼き肉のバイキングなどにもずいぶん行きました。
忘年会など思い出すと、もう食べれなくてお皿にとった物を残してみたり、飲み過ぎ食べ過ぎで
ゲーゲー吐く者まで現れる。
ファーストフードは今でもたまーーーに行く事もあるけれど、いざハンバーガーとポテトとドリンクの状態からは、
以前それらの材料の一部が「生きていた物」だったとは考えづらい。直結しづらいように思います。
ハンバーガーは、ハンバーガーなのです。ステーキはステーキ。とんかつは、とんかつ。
そう思って食べている。

でも、実はそれらは生きていた。私達とおなじように、この世に産み落とされた一つの生命だという事。
私は別にマクロビしているワケでもないし、誰かに説教するつもりもありません。
が、私自身、本当に、本当の意味で、それら食材の事を、やっとちゃんと考えれるようになってきたなと思うのです。
そして、それと同時に反省したりするのです。
知らなかった、考えられなかった、想像力のない自分について、反省したりしている今日この頃です。

自分が豚飼ってたらどうでしょう?
鳥でもいいです。
育っていくまでに愛着がわいてきそうです。でも、それを食べる時がきます。
捌きます。血抜きしたりして、自分でその動物を切る事を想像してみて下さい。(強制ではないのでイヤな方は考えないでスルーしてください!)

・・・・・。その豚ちゃん、鳥さんのお肉は焼き肉屋さんのバイキングへ行きました。
次次に運ばれてくるお肉にまみれて、そこにあった命を頂くという感謝もなく、見る事すら軽くスルーされて
誰かのクチの中へあっという間に運ばれていきます。
もしくは、いいだけ食べた後のギトギトになった残りの焼き肉のタレにひたされたまんま、
誰かに食べられる事もなくゴミ箱へといってしまうかもしれません。
そう思うと、その命がなんだかかわいそうに思えてきてしょーがなくなりました。
食べるな、というのではなく、感謝して食べたい。言わば食べられる命に、きちんと向き合って、食べたい。
「いただきます」という言葉は、まさに命そのものをいただく儀式として、昔からあった言葉なのではないかと
本当に本当に、心から、やっとそのような事を考えられるようになった自分がいます。
もちろんお野菜にも命があると思うし。

食べ物が、自分の前に現れた時に、それらが土の上や水の中や、どこかで生きていた命だったと言う事を、
少しでも想像して、食べたいと思うのです。
そうすると、たぶん自然と目をつむって手をあわせ、「いただきます」といえる自分がいると思います。
そして、食べ終わったら「ごちそうさまでした」と。
自己満足なのかもしれないけれど(動物さんたちごめんね)、「おいしかったよ、ありがとう」と言いたい。
食べた命は私の中に入って、その魂みたいな物がエネルギーになって、私という人間をつくり、生きてゆく。
そんな事をきちんと考えながら、食材を選び、食べ、生きていきたいと思う今日この頃なのでありました。

私は今、食材の産地を選んで購入しています。
放射能汚染が人体に及ぼす影響が、すぐにはわからなくて恐いからです。
本来は「地産地消」がモットーなのに、やってる事が矛盾してきてストレスですが、
福島の原発が、とりあえず収束する迄でも、そうした食材選びはしていこうかなと思っています。
そんな中、息子へのお弁当持参を考えたり、どこで食材を調達しているか?などについて
よく情報をシェアしている友人がいます。
時には「葉物が全然ない!食材がない!」などなると、「うちに少しあるから分けよう♪」なんて、
今時本の貸し借りでもない、「野菜のお裾分け」をしあっている友人。

そんな友人が、前に言った言葉。
「今は安心して食べられる食材が貴重だから、皮までおいしく食べるのだ」と。
私も以前、多少ミーハー気分でそんな風に皮も調理していきがってた時があった。
でも、今は本当に、安心して食べられる食材が貴重だと心からそう思う。
有機栽培や自然農などで作ったお野菜は、スーパーで売られているようなキレイなビジュアルでないのもあるし
第一、「高い」のだ。
でも、自分で野菜を作ってみるとわかるのだけど、大根一本100円とかって、安い。
もちろん安いと家計は大助かりだけど、なんか違う、違うのではないかと思えてきてならない。
野菜の価値は、なんだか低い。
そうした安さの中には、大量生産や、安くできる理由が入っている。
そうした結果、遺伝子操作された種から育った野菜の存在や、農薬や肥料の問題が出て来る。
農家の人が、その農薬なんかで体こわしてるっていう話もある程だ。

我が家はぶっちゃけ、今田舎暮らしに向けて家も購入し、お金がない。
でも!
それでもね、一応知っているという事や、選ぶ、考える、という事はしていきたいと思っている。
時にはそうした中でがんばって安全なお野菜を作るべく、現代的な簡単な方法をとらずに
がんばっている農家さんを応援していく事。
だからこそ、皮まで使える野菜にお金を投資したい。
その栄養は、自分の体を作るのだから。
自分の今のライフスタイルや、食費として使える資金などにあわせて「チックショー、いつかはこっち買ってやるっ(泣)!」
みたいな葛藤も織り交ぜながらも、日々の食材を考え、調理していきたいな、と思ってる。
食材ひとつひとつに感謝をしながら、今日も明日も「いただきます」と。

 先日友人の家に、ちょっとした物を届けにいった時、帰り際彼女が「あ、ゆきちゃん、ちょっと待って♪」と、
冷凍庫からなにやら取り出し私のクチにポイ♪っと入れてくれた。
おいしいそれは、私の大好きな「チョコレート」だった。
「おやつもね、いいものをちょっと!を心がけてみようかと思って」と彼女は言う。
そのチョコレートはフェアトレードの物だった。
きびしい労働条件の中、がんばってチョコレートに使うカカオの仕事にたずさわる子供達を思って、
ちょっとキュンとしながら味わって食べた。
なんだかすごい満足感のあるひとかけだった。

家に帰ってその話を旦那さんにしたら、「いつも俺が言ってた事じゃないかー!」と、怒られた(笑)。
彼は、そのへんの感覚が、私よりも一歩も二歩も前を進んでいる感じだったのだけど
そうした人々の影響をうけて、じわじわと、私は私のペースで、食べ物に対しての
自分の在り方、みたいなのを今はすごく考えている。
そして、知る事はやはりいい事で、食べものひとつひとつがありがたく、すごくおいしくて満足できるようになってきた。

やる人はもっと先いってるしね、ストイックになってもきりがないんだけど(笑)、
楽しめる方法で、これからも自分なりに成長していきたいと思っています。
「チョコレートは私のガソリンです!!!」なんて言って、起きがけにチョコパイふたつとか平気で食べてた自分よ、サヨウナラ。

※ 写真は最近息子お気に入りの「黒糖ドーナツ」。
色々作ってるけどアップしてる暇&写真がナッシング。

2011年11月8日火曜日

日記も休み休み物を言う?



一回心の内を吐きだしたら、ちょっととまんなくなってきた感すらあります。
どこそこのお野菜からは未だヨウ素とか検出されてますからね。
まだぜんぜん収束してないワケです。
早く収束だけでもなんとかしてほしい気持ちでいっぱいなのです。
どーも、ゆき坊ですこんにちわ。

さて、今日もずらずら書こうかとも思ったんですが、堅苦しい内容ばかりなので
ちょいとここらで一休み。

写真は先月作ったカレンデュラ石けんとはちみつオートミールミルクの石けん。
ちょいと日をおいた後だったのだけど、昨日無事カット。いい感じのやわらかさだったので
キレイにカットできました。
乾燥が済んで、固ーくなったら「やさしい野菜屋さん」と「ネットショップ」にも納品します。
これからも、体と心、そして地球にやさしい物作りをしていきたいと思っています。
そろそろクリスマス石けん(毎年恒例のもみの木石けん)も仕込まねば!

午前中は、息子が一時預かり保育だったので、市川駅まで激チャリ。
駅前のシャポーに入っている「ニュークイック」というお店まで、卵を買いにエンヤコラ行ってきました。
ここの卵は長崎県産。尚かつ、放射能検査を行っている卵です。
「雲仙赤たまご」という品。198円也。
毎週この卵をわざわざ買いに行くのだけど、今日は近くの図書館で本を借りるのを楽しみにして
出かけたのだけど、リニューアル工事の為14日迄閉館。残念(泣)!
卵ひとつ購入し、ふたたび激チャリで帰ってきました。
疲れたけど、産後ちょっと太ったのでいい運動になるかな?!と、思っております。
アップダウン激しい道のりなので、若干筋肉痛。あー疲れた。

2011年11月7日月曜日

ゆき坊家の、お食事事情@またまたセキララ。


水が届いた。

実は原発事故以来、水は長野の水か、お取り寄せの北海道の水にしている。
もちろんすべてをそれで、というワケにはいかないので、大豆やパスタを茹でる時の水や、
お米をといだりするのは水道水をブリタで浄水したものを使っている。
つい先日まではことあるごとに長野へ食材の買い出しに行き、その時にわき水もたくさん汲んできていた。
でも、交通費だけでもばかにならない事や、旦那さんの長い連休もそろそろないし、
あちらの家はこの時期になると、もぅやたらめったら寒い事もあるだろうと思い今回は久しぶりに水をネットで購入したのだった。

長野の水だってどうなの?というご意見もありそうだけど、私の中では「少しでも最善を尽くしたい」という気持ちがあるだけだ。
今の自分のできる範囲で、知ってる範囲で、可能な範囲での努力をしてる。
なので、所々には矛盾もあるし、金銭的な面でも、そうでないところでも妥協だって時にはあるので
要所要所の場面での様々なツッコミはご遠慮願いたい。

野菜やその他の食品は最近はここらのスーパーでも、「がんばれ東北」「がんばれ福島」的な場所とは別に、「放射線を意識した世帯へ配慮した産地の食べ物」をちゃんと取り入れてるような場所も増えてきたように思う。
それでも、葉物がなかなか自分の思うような産地のが入手できなかったりと戦いはまだ続いている。
モチロン、これはただただ漠然と自分の中でのルールを作っているだけなので、
サーベイメータで放射線値を計っているワケでもなく、「産地」という事だけでの判断になるが、
やらないよりはマシ。
「国が計っているから大丈夫」という曖昧な基準では、私は今はまだ信用できないので、
自分のルールをつくり、日々の食料を調達している。
そう。人がまわしたルーレットに乗るのではなく、自分の健康をかけたルーレットは自分でまわしている。
そんな感覚。

こうした考え方になる迄には、実は日々ものすごいストレスと葛藤があった。
「遠くの物を選ぶ」という事は、すなわち地場産をけなしているようにもとられるワケで、
地場産を購入、もしくは生産している人からすれば、このような行動、発言こそが
「あなたは汚れた物を食べている」「あなたの所の野菜は汚れている」と言われているのも同じような事に聞こえるだろう。
そんな事を直球で言うつもりもないし、ぶっちゃけそこまで直球で考えて誰かを攻めてるつもりもさらさらないのだけど、
食品の話をするのはタブーなのだと、これまで何度も感じるような出来事は確かに何度もあった。

その度、「そんなつもりはないのに。。。」と時には凹み、時には「なぜこんな思いをしなくてはならないのだろう」と感じたものだった。
ただ、答えは簡単。
「デリケートな問題だから、人に話すのはタブー」なのだ。
だから、ツイッターなどで東電や国に対するアクションのひとつとして、または自分の備忘録や感情のはけ口としてでも
クチに出すと共感を得てもらえる時もあれば、逆に反感をかう時もある。
反感かうくらいならまだいいのだけど、そのような発言は、時には傷つけたくもない人を傷つける事もあるのだと思うと
言いたい事も言えない。
そんな感じで、思う事をうまく表現できない。しきれないような怖さでただただじっと人の意見を見つめる日々だった。

自分達を例に出してみるとわかりやすい。
うちの旦那さんは、今年は冬の2月から、野菜を種から育てていた。
長野へ行ってからの野菜作りのシュミレーションとして、在来種の種などもインターネットで購入し、
夢と希望に胸はずませて、ホームセンターで購入した小さなビニールハウスを狭い室内に置き、
来る日も来る日も手を変え品を変え、まるで私が息子を育ててきた時かのような愛情で、
野菜の苗をそだてるべくがんばっていた。
何度も土を変えては失敗を繰り返し、そんな中でやっと出来てきた苗を、畑に植え替えた時は、本当に嬉しかった。

そんな中、311の事故が起こり、最初の雨が降ると言う。
「放射線混じりの雨が降るのではないか」。という噂があったので、恥は掻き捨て、
急いで100均でビニールシートを買い集め、野菜の苗にかけたのだった。
近所の人には笑われた。(ちなみにこの近所の方はとてもいい人で今もいいお付き合いをしているのだが)
 色んな思いが交差する中で、「大丈夫だと思うんですけどね(苦笑)、ただ、自分達がそうしたいからやってる(シートをかけてる)だけなんです」と、
自分達が心配性だからかけてるんだ、というのをアピールしたりもした。
だけど、本当は日本中の農作物すべてに巨大な傘をかけてあげたいくらいの気持ちだった。
恐くてたまらなくて、日本中の食べ物がどうなってしまうのかと思ったら、胸が痛くてドキドキした。

・・・と、まぁ、長くなるので説明はこの辺にするけれど、とにかく、やれるだけの手をつくしつつ、
なんとか守りたかった自分達の野菜。
だったのだけど、結局その野菜達を、旦那さんは泣きながら処分する事となった。
答えは簡単。「気持ち良く食べる事ができないから」だった。
そんな中でも日々葛藤はあった。
「こんなにキレイに出来てるよ。。」と初めて結球したはくさいなんかも「大人だけで食べようか。」なんて言って、
食べた時もある。
「ゆう(息子@2才)に食べさせなければいいんじゃない?」なんて、私も一緒に食べた。
旦那さんが努力して作った野菜を、やはり捨てたりはしたくなかったからだ。
でも、数日後に旦那さんが言った。
「やっぱり俺らも食べるの辞めよう」。
残念で泣きそうな気持ちと、ちょっとホッとするような複雑な感じで、今年の畑を諦めた。
私達の中で、まだ千葉県の野菜に対しての不信感みたいのがあったからだ。

なのに、数日後ツイッターでの書き込みに切なくなった。
「千葉県産はどれももうダメですね。保育園の給食はどうするのでしょうか」という書き込みだった。
もちろんその方は、純粋に思った事を、悪気なく書いたのだろうと思うのだけど、
「千葉県産はもうダメ」という表現が、ものすごく心に突き刺さったから。
自分でもうっすら、いや、思っていた事なのに、人に言われるととんでもなく傷ついた。ショックだった。
そう。これがすべてを物語っていると思う。
色んな人の中にそれぞれの葛藤があって、それぞれのルールの中で今を生きている。それが現状。
だから、人の事はどうこう言えないし、言いたくもない。
それが今の私の気持ち。
あれは気にしてるけど、ここは無頓着になってる。そんな所もひとそれぞれなのかもしれないけれど、
それぞれの家庭で、それぞれの立場で、それぞれの思いがある中たぶん色々やりくりしてる。
「気にしてない」というのも正しいと思うし、私の様に「やっぱり気にしてる」という方もいるのだと思う。

そんでもって、何が言いたかったかというと、そんなんで私は今、私にできる範囲で「選ぶ」ようにしていると言う事。
人から頂いたり外食するような時には、「ありがたくいただく」ようにしている。
その代わり、普段の食事の材料は、選べる時には選ぶ。
今後日記を書いていく上で、そこんとこをオブラートにしたくなかったので書いた。
これからも、私の食卓事情の葛藤は続く。
放射線問題だけではなく、今回の事で色々勉強していく中でわかった複合汚染の深刻な問題に
気づけてある意味良かった?(本当はこんな葛藤したくないのだけど)とも思う。
農薬や添加物などの問題も、実は深刻だと思うし、今一度自分の食事事情について
しっかりと考え意識を変えるいいチャンスだとも思っている。
ピンチをチャンスに変えるのだ!と、ある意味開き直りと言うか、いい機会なので今後も勉強し生活や
食べ物に関する考え方を、変えていくつもりなのである。

あー疲れた。
長くなったので今日はこれまで。
かなりシュールな内容なのに、息子の暴れっぷりが凄くてあまり集中して書くことができなかったので
文章にも自信がないけどこのままアップしてしまおうと思います。

そんなワケで、最近は宅配野菜も注文し始めてみた。
先週は「大地を守る会」、今週は「おいしっくす」のお試しセットを購入してみた。(どちらも数値を計っている野菜を出している)
今後はご当地の個人でやっているようなお野菜なんかも注文してみる予定。
これは、いつか自分達が野菜を売る時の、参考にもなればという意味も込めて、
なんとかやりくりしながら色々試してみるつもり。

だからというのもあって、今後は今まで以上に野菜とか、食べ物のひとつひとつに対して
敬意をはらって皮までおいしく食べれるように努力したいし、皮までおいしくいただけるような物しか
食べないつもりでもいる。

※ もう写真選んで貼ってる暇もないので(@息子限界)、トップの写真は先月と今月のカレンダー@自作。今年ももうわずかだ。がんばろう。

2011年11月4日金曜日

過去、現在、未来について。

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さて。何から書こうかな。・・・と、躊躇してしまう程、日記を書かなかった。いや。書けない日々を過ごしていたゆき坊です。こんにちわ。
久々の日記は、今までモンモンモヤモヤしていた気持ちを、セキララに書いちゃおうと思います。

311の地震から始まって、福島第1原子力発電所による放射能汚染は、私にたくさんの事を
今も尚考え続けさせるショッキングな出来事でした。
水道水に子供への基準値を超える放射能物質が出たのは以前記事にしましたが、そのショックは今も尚消えません。
忘れちゃいかん。消しちゃーいかんと脳ミソが、体が訴えてくるのです。

世間では今はもぅ普通の生活をしているかのように見えますがいかがなんでしょうか。
我が家にはテレビ(今後「洗脳箱」と呼ばせていただく)はありませんが、テレビの情報などは友人知人やインターネットから入ってきます。
原発情報しかり、TPPしかり、なかなか国民の声が届かないような気がするのは気のせいでしょうか?
利権にまみれた部分で人と人との意見がパックリと分かれるような気がしてなりません。
言い方は悪いかもしれないけれど、原発も、TPPも、モンサント社による遺伝子組み換え種(&枯葉剤)の問題も、
今今目の前のお金、そして便利という名の間違った魔法で根本的な、本当に大切にしなくてはならない事をものすごく浅はかに犠牲にしているとしか思えない事だらけに思えます。

こうした様々な事柄が、報道の差、つまりは「その人が何から情報を得、信じているか 」によって
意見や考え方が別れます。
偏ったり、間違ったりしたくないので、私も色々と情報収集し直したり、たくさんの物を見て
考えてきたけれど、「大切にしたい部分」により、意見は分かれ、
悲しいのは、その利権により多くの国民がおそらく思ってもみないような方向へと、
国策は進んでいく物と見られます。
そして、都合のいいようにまとめられた情報ばかりが多く目につく所に現れ、
知らぬうちに恐い事が、水面下でどんどん進んでいき、大切な物を失っていっています。
原発もそうでしたね。
廃炉うんぬんどうこうと言うよりは、知っていたかった。
そのメリットとデメリットも。

311以降、早めに目にとまり心にもとまったのは、
田中優さんや、小出裕章さん、武田邦彦さんなどの情報でした。(気になる方(もう知ってるって?!)はYouTubeやブログなども見て見て下さい)
今起こっている福島原発による汚染はチェルノブイリとはタイプが違い、
未だかつてない事故だったと思います。
そうした時に、「大丈夫」などという言葉は私の中には存在しない。
データはあれど、今まさに「今までなかったような汚染」が広がっているワケで、
それはまだ収束もしていない状態。
この状況に、「国が大丈夫って言うから」なんて感じで信用なんてしようがない。できないと私は思っています。
どちらかと言うと「最悪の状況」を考えた上での対策を、国にはとってもらいたかったけど、
それが無理ならどうすべきか。を考えなくてはいけません。
だって、影響してくるのは「命」や「健康」だからです。
すべての事は、命や健康あっての事だと思っています。
家や財産、地位や肩書きなんかは、健康な体と命あってのものです。だからです。


あー。。
ユルユルな日々を綴る日記だったハズなのに、こんな固い事を書き綴って、私も疲れます。
だから書けなかった。書きたくなかった。

でも。


色んな事があって、色んな事を知ろうとして、見えてきた事によって私は変わる事にしたのです。
今までは、あまりこういう政治的な事は興味がなかったと言うか、クチにしたりするのも
嫌だなと思ってました。
やわらかい言葉でキレイな事、優しい事を見たり感じたり、綴っていたいと思っていました。
原発の事を反対!とか言ってる人の記事を見て、正直「あーなんかこの人キツい人なのかなー」
なんて思っていたりもしました。
それでも、自分の身にそれらがふりかかった時に、初めてその方々が持ってたある種「怒り」のような
感情が本当の意味で理解できたような気がします。
政治的な一見苦手でよくわからないような事柄でも、結局は自分達の身にふりかかってくる事ばかりです。
「知らない」や、「誰かがやってくれる」、「考えているうちに時が過ぎちゃった」では済まされない事もあります。
 声を上げるのが苦手な国民性などもあるでしょうが、今一度、私達は大切にしたい物、
自分の事だけでなくて、地球や未来の事も考えなくてはいけない時にきているのだと思います。
「声をあげない」「行動しない」は、その反対の意見に同調しているのと同じ。
祝島の人が原発問題に関して言ってた言葉だったと思いますが、私も本当に、本当に今そう思う。



送られてくるメディアの情報を鵜呑みにするのではなく、「本当にそうなのだろうか?」と、
まずは疑問に思って知ろうとする事が大事なのではないかなと、心からそう思いました。
数ある洗脳の中で、まっさらな自分になって、本当に大切な物はなんなのか。
時々立ち止まっては考える。そうしないと、知らないうちに大きな流れと一緒になって、
自分の本来不本意な方向へと進んでいる可能性が大きい。


私にとって大切なのは、子供の命、そして地球です。(子供は自分の子供だけではなくみんな全て)
大げさでもなくて、かっこつけてるワケでもなくて、本当に色々省いていくとそこにたどり着きます。
健康な環境(地球や動植物)があって、初めて自分達の健康があり、そこに枝葉がついてくるのだと思う。
その1番大切なところを汚染され、今も尚おろそかにしている状況は、私にとってとても辛い日々となりました。
毎日が葛藤、苦悩の日々です。
どう生きていくか、模索してばかりいます。
環境汚染や食や日用品などの添加物や薬品問題、それらも今一度しっかりと知る必要があるでしょう。
目に見えない、五感で感じる事のできない放射能汚染が当たり前の環境に生きていかざるをえなくなってしまった今、
これら全てを含めた「複合汚染」という意味で、健康を脅かす物は増えたワケです。
だから、少しでも悪い物をなるべく体に入れないように、今いる自分とその環境を考えて
選んでいかねばならないと思っています。
※ 下写真は今読んでいる、その名もまさに「複合汚染」。かなーり勉強になります。ぜひ見てみて欲しい!


そして、またどこかの原発がドッカーンなんてなった場合には、悲しいけれどすべてを捨てて、
リュックひとつ担いで逃げる覚悟もしとかなきゃいけない。
なんて事も思っています。
長野への移住を決めたのは、夢があったから。
その夢は、「安全な物を食べたい(自分達で作りたい)」とか、「自然豊かな場所で子育てがしたいから」とか、
「水のおいしい所で暮らしたい」なんて思いがあったから。
その根本的な所を根こそぎ崩してしまった原発が、私は憎い。
福島なんて、まさに自然豊かな自給率の高い場所だっただけに、本当に胸が痛い。
こうした思いがあるのだから、私は今後、しっかりと声を上げ、行動していきたいと思っています。
デモにも参加するし、署名活動などにも積極的に参加していこうと思っています。
そして、知る事。
まだまだ知らない事もたくさんあるから、学習していかねばなと思います。

ではでは、久々の日記が結構重苦しい内容になってしまってスミマセン。
見ていて不快な気持ちになった方ゴメンナサイ。
これはあくまで私の気持ちです。
人には人それぞれの立ち位置や環境、見る物の違いや考え方の違いがあります。
人を変えるつもりはありませんが、今後もこうした自分の気持ちはハッキリと意思表示していきたいと思っています。

あースッキリした。
今後はまたこうした心の葛藤も含め、日々の暮らしを綴っていけたらなと思います。

ちなみに私の住んでいる地域、いわゆる「ホットスポット」と言われる線量の高い地域と目と鼻の先でした。
信号ひとついくと、まさにその地域。
文科省のデータでも明らかになったので腹くくりました。
恥ずかしいなんて言わないで、なるべくマスクもして歩こうかなと思っています。
ただ、2才の息子がどうしても嫌がってつけてくれない事だけが困ります。
1番心配なのは、君なのにねぇぇ。。。


※  堅苦しい内容なので、写真だけでも!と、写真は先日遊びに行った「マザー牧場」での動物や息子。動物たち、本当にかわいかったー。何もしらないこの子達の生き様はいつも潔い。私も動物のように生きていきたいと強く思う。同じ動物なのだから。