昨日の聾学校の文化祭でいただいてきたパンフレッドにとてもいい言葉が書いてあった。
なので、それをメモがわりに、ここに記しておこうと思う。
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道標(みちしるべ)は、自分が進む方向を示してくれるものですが、何か大きな光のような物が示して
くれるのではありません。
日常、見聞きする一つ一つが、その人にとっての目安となり道標となるのです。(以下文略)
普段何気なく見たり聞いたりしている事柄が、あなた方の道標となるかどうかは、あなた方がそうした事柄に、
関心があるかどうか、気づくかどうか、つまり、受け止められる状態にあるかどうかで決まります。
気がつく感受性を養う為には、いろんな事を見たり、聞いたり、体験したりする事、そして、
常にいろんな事を「これはどうしてそうなんだろう?」、「なぜそう言えるのだろう?」と考える習慣をつける事です。
「自分は何がやりたいのかわからない」、「「自分はどうなるんだろう?」、「先の事を考えるととても不安になる」などなど、
途方に暮れる事もあるでしょう。でも、今、はっきりした道標がなくても心配する事はありません。
道標がないのではなく、気がついていないだけです。
道標を探すのではなく、気づけるようになれば良いのです。
そのために、「考える!」(←ここだけ太字になっていた)という事をいつも忘れずに。
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今回の文化祭のテーマは「道標」。
これは生徒に向けて、校長先生が書いた言葉なのだけど、なんとなく私の心にもじわーんと染み込んでいきました。
たくさんの事を受け止められる状態でいたいなーと、今現在の私も強く思います。
そして、そこそこ生きてきて、いろんな事を面倒くさがって受け流せるようにもなってしまった
鈍感な頭や心にも、いまいちど「どうして?」「なぜ?」と、立ち止まり考えるチカラが欲しいと思います。
情報社会である今の時代。
テレビや雑誌や広告、インターネットなどで流れてくる情報や流行にも、振り回される事なく
地に足をしっかりつけて生きていきたいというのが今の私の目指す道です。
その他大勢がやっているから。
広く大きな道をみんなが渡っているから、何も考えずに一緒に歩いて渡ってしまうような生き方はもうやめたい。
どの道を渡るのが一番良いのか、ちゃんと考えてからみんなと同じ道をゆくのか、違う道をゆくのか考えたいと思う今日この頃です。
さてと、ではでは、息子も寝た(昼寝)ので、教習所の勉強をしようと思います。
今日は寒いのでストーブで小豆を茹でています。
豆の炊ける匂いの中で、シワのなくなってしまった脳みそをなんとかふるいたたせてがんばらなくては。。
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