土曜の夜、パン用のクープナイフで指をスッパりと切ってしまった。
クープナイフとはまぁ、見た目も何もそのまんま「かみそり」みたいな物なのだけど、
これの汚れを洗おうと、アクリルたわしでこすっていたその勢いで切ってしまった。
痛くて顔がゆがんで息をこらし患部を指で圧迫。
息子とダンナさんを驚かせたくないので冷静を装うけど「たすけて~」みたいな声で「絆創膏とってー」と唸る。
血が苦手なダンナさんからもらいなんとかつける。(ダンナさんは血が苦手なので直視できない)
結構痛かった。そしてなかなか血が止らなかった。
息子のお風呂はダンナさんに頼み、絆創膏、コットン、その上からマスキングテープでとにかく指をぐるぐる巻にしてから
私もその後お風呂に入った。
久々の一人のお風呂でジンジン痛む指をなるべく意識しないようにして顔や体を洗う。
そんな頭でぐるぐる妄想したり考える。
もしももう一生この指が使えないとしたら?
では今この指がなかったら私はどうするのか。
痛む指(右手人差し指)をないものとしてイメージした時、その瞬間から中指ががんばった。
これにはビックリ。中指が人差し指になろうとしている。これは発見だった。
こうしてこのまま月日が流れたら、この中指は中指の働きだけでなく人差し指の仕事もするんだな。
そんな事を考えながら、シャンプーしてリンスをする。(人差し指は痛いので浮かせて使えないまんま)
私は石けんシャンプーをしているので、普段は洗面器にほんのちょっとのクエン酸を入れた物をリンスとしてすすぎで使っている。
そのお湯をいつものように手ですくい頭にかける作業がうまくいかない。
後頭部にすくってかける間にお湯がなくなってしまうのだ。
じゃあしょうがないので手を反対にしてみてはどうか。
それが、なかなか上手くいかない。
クエン酸入りの重い洗面器を右手でバランス良く持つ事ができないし、同じように左手でお湯をすくう事も
わずかにすくえたお湯を後頭部にかける事もできない。
腰や足を負傷したり痛めた時にも思った事だけれど、普段当たり前のように動いている自分の体。そしてその部分部分のひとつひとつ。
動かなくなって初めてそのいつもの当たり前に感謝する。
指のひとつひとつ(足も含めて)や、その動きをどれだけ普段意識してるのか。
いや、たぶん意識などしていない。
バスケをやってた時にシュートの練習で、人差し指から最後にボールがでていく感じ、とか
腹筋する時に、腹筋を意識しながらやる、とか、意識しようとした時にしか意識していないように思う。
何というか、小難しい話に発展してしまったのだけれど、この3日間ぐらいはそんな体の一部をすごく意識し過ごしていた。
昨日寝る時に勇気を出して絆創膏をはずして寝たら、一晩でかなり傷口がふさがってそれもビックリだった。
人間の体って、本当に神秘的だと思う。
さてさて、日曜は図書館へ行ったり、石けんの写真撮影などをしてた。
秋の紅葉がはじまってきた公園で、手塩にかけた石けん達がモデルさんになった。
自然に囲まれて深呼吸しているように見える石けん達。
大集合したその姿に、我ながらちょいと感動するほどの美しさだった。
自分がつくったから!とかそういうのではなくて、石けんという物そのものが、やっぱり美しいのだなと思ってしまった。
途中、撮影中に少年野球の子供達やそのコーチなどが私を囲み、「これなぁに?」
「石けん?!スゲー!」とか「キレイー」とか言われる。
私はまるで息子が褒められた時のような気持ちになってちょっと、いや、かなりニヤけて嬉しくなってしまう。
そしてその団体に囲まれている光景がおもしろかったらしく、ダンナさんが「アナタはいったい何なのだ?!(笑)」と
歩み寄る。
この写真はそのうちネットショップやその他ポップなどで色々使えると思う。
手元にこんなにたくさんの種類や色の石けんが大集合する時ってありそうでなかなかなかったりするので
貴重な瞬間だと思った。石けん達も、秋のすばらしい空気を満喫しながら精一杯深呼吸していたようだった。
昨日はちょっと用事があって久しぶりの本八幡へとひとりで行ってきた。
用事ついでに本屋に寄ったり古本屋にも行ったけれど、お目当ての物にはなかなか出会えずじまい。
帰り道に市川の大門通りで三年番茶となたね油を購入。
このお店は有機専門店なのだけど、ラインナップがかなりスバラシイ。
この店を知ってから、私は色んな物を買いにわざわざ青山まで出かける必要がなくなった。
オーガニックコットンの布ナプキンも、ロゴナのメイク用品も、そして気になる食品や本なんかも
かなり充実している。なたね油も3種類、大瓶も売っていた。
これからはなるべく「いい物を少しづつ上手に使う」生活にシフトしていきたい。
今も意識はしているけれど、更にそうしていきたい。
お金がなくても、日々無駄にしている物、事はたくさんある。
特に食材や調味料なんかは厳選していきたい。
そして、食べ過ぎたり買いすぎて無駄にしてしまったりとか、心ない行動を少しづつ減らしていけるよう努力しながら
なりたい自分になりたいと思っている。
私は石けんを手作りしたあたりから、経費毒については意識してきた方だと思う。
洗剤も石けんだし、基礎化粧品は手作りしてるしわずかに使うコスメもオーガニックな物を長く使っている。
でも、なるべく意識してきたつもりだった食べ物に関しては、知ればする程怖い現状が本当に私たちのすぐ側にある。
今後農的生活を志す者として、ダンナさんがここ数年独自に勉強してきた野菜作りや酪農にまつわる事の中には
愕然とするような事実がたくさんある。
まぁ、野菜や化粧品だけではなく、今は経済至上主義な世の中なので最も最初に重視されるべき事が
重視されていなかったりする。
私たちはもぅ自分や家族にまつわる様々な事を、他人まかせで「大丈夫だろう」なんて思ってはいけない時代にきていると思う。
何が悪い、良いではなくて、現実を知って選んでいくチカラ。
それが必要だと強く、強く感じている。
そんな中で私たちは田舎暮らしや時給自足的生活を目指してがんばってみようと思っている。
人様に売れるような物(あくまでも見た目や味という方面から見て)が出来なかったとしても、
自分達の食べる物くらい、安心で安全な物を作れるように。
おいしいにこした事はないけれど、その「おいしい」と思う味まで添加されているお化けのような物が実は近くにたくさんあるのだから怖いものだ。
食べてもすぐに死ぬような物ではない。
もしかしたら、別に何も変わらないのかもしれない。
それでも選びたい。どちらが自分にとって心地いいのか。
だから今後はなるべく物事の本質を見抜ける目と心を持ちたいと思う。
まだまだダメな所も多々ある自分だけれど、目標とする場所と道はしっかりと見えてきた様に思う今日この頃。
立ち止まったり考えたりしながらまわりの景色を楽しみながら、しっかりと大地を踏みしめながら歩いていきたいと思う。